金(ゴールド)の歴史|古代メソポタミア文明から現代まで
金(Gold)は古代から、力がある者、富を持つ者の象徴であり、歴史の中で時代の指導者や王族と深い関わり合いを持ってきました。
また長い年月が経っても変わらぬ美しさを保ち、輝きを失わない金は、不老不死の象徴としても崇められてきました。
現代においても金は、ジュエリーの素材としても高い人気を誇り、また資産としても安定した需要があります。
今回は、世界的に長い歴史を歩んできた金の歴史についてご紹介します。
世界の金の歴史
人類は、紀元前の古代から「金」の放つその圧倒的な輝きに惹かれ続けてきました。一目見て分かる、希少性や美しい輝きに、金が持つ超自然的な秘めた力を感じ取ってきたのかもしれません。
世界の歴史において、金は権力者が身に着けるもので、それは「権力の象徴」でした。現在における「富裕の象徴」としての金とは、また少し違った意味合いがあったといえます。
非常に珍しく希少性の高い金を身に着けられる者=時の権力者、であり、また金はその輝きや長く続く美しい品質から「不老不死」の象徴として、権力者にとって「お守り」や「魔除け」の意味も持ち、きらびやかな装飾品は長きにわたって愛用されてきたのです。
エジプト王朝では金の輝きを太陽の光と考え、国家が金の全てを管理していました。またインカ帝国は、金を巡っての争いによって滅亡という運命を辿ります。中世ヨーロッパでは、高価で希少な金を人工的に作り出そうと、「錬金術」の研究が盛んに行われていました。
これまでの歴史で、装飾品としてではなく、金を貨幣として用いてきた時代もありました。
日本では西暦708年に「和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)」という銭貨が作れられましたが、金は統一貨幣としてはなく物々交換などで使われていました。
日本の統一貨幣として金貨を用いたのは江戸時代、徳川家康です。家康は全国の金山銀山を幕府の直轄下に置き、厳しく管理していました。
このように人類の歴史にとって金は切っても切り離せない存在です。世界中のいたるところで、金の価値や力は歴史とともに根付いてきたのです。
それではまず、人類と金との初めての出会いからお話していきます。
紀元前6000年ごろ|人類と金の歴史の始まり
人類と金との歴史が始まったのはいつごろなのでしょう。
それは紀元前6000年の昔、チグリス川とユーフラテス川の辺りにあった「メソポタミア」で文明が栄えていた時代まで遡ります。
そこには天文学に才のあるシュメール人が文明を持っていました。シュメール人の文明は非常に高度であり、メソポタミア文明を発展させ、自分たちは「アナヌンキ」と呼ばれる神々の集団によって作られた、と考えていました。
未だに謎に包まれた部分も多いシュメール人ですが、「アナヌンキは金を採掘するために別の星から地球に来た」と粘土板に残しています。
これが、世界で最も古い金の逸話であり、古来から金が人類を魅了していたことをうかがい知ることができます。
また金の純度を表す24分率もこのメソポタミア文明を起源としています。
太陰暦にも代表されるように、このころは割合を24分率で表すことが一般的でした。つまり、1日を24時間で表す考えと、金の純度の起源はどちらもこのメソポタミア文明でした。
紀元前3100年ごろ|古代エジプトと金
古代エジプトを描いた映画などでもイメージ作られているように、エジプト王朝といえば、金をふんだんに用いた黄金の装飾品の数々が思い浮かびます。
金とエジプト王朝の関わり合いは深く、紀元前3100年ごろにはすでに、エジプトのファラオが身に着ける装飾品に多くの金が使われていたことがわかっています。
そもそも、当時エジプト王朝の繁栄を支えていたのは、金の採掘でした。
古代エジプトでは金の所有量が国の繁栄を左右するほど、金は国家にとって重要なものだったのです。
エジプト王朝といえば、紀元前1300年ごろに作られたツタンカーメンの棺やマスクを思い浮かべますが、そのマスクは王の威光と国家の繁栄の象徴として、23金(純度95.8%)という非常に純度の高い金を使って装飾がされ、さらに棺にも約100キロを超す量の金が使われています。その時代、金はその希少価値から特に高貴な存在であったファラオのみが装飾として利用することを許されていました。
ツタンカーメンの墓からは、他にも2000点以上ものの、金や宝石を使った装飾品が発見されていますが、中でもこのマスクはその歴史的な価値も含め時価300兆円ともいわれています。エジプトは特に、「太陽信仰」が行われていたため、光輝く金は太陽神ラーの一部と考えられていました。そのため、宗教儀式やファラオのみが使用できていたのです。
絶対的な立場を持つ者以外は基本的に所持しないものとされましたが、資産としての金塊「インゴット」は古代エジプトですでにあったようです。今はインゴットといえば延べ棒ですが、古代エジプトではドーナツ型であり、またそれが金を表す象形文字としても残っています。
神聖視されていた金は国家によって徹底管理され、一般市民は欠片を持つことも許されていませんでした。
当時の金採掘は、川でザルを用いて砂金を集める「パンニング」で行われており、1人が集められる量はごくわずかなものでした。この膨大な労力を考えても、当時のエジプト王朝が絶大な権力を保持していたことがよくわかります。
12~13世紀|中世ヨーロッパと金
ヨーロッパは銀鉱山はあったものの、金産出はほとんどなく、他国からの輸入に頼っていました。
大航海時代になって、他国との交易が盛んになると、金は、身分の高い人物を飾り立てる宝飾品として、王の王冠や、地位の高い人が身に着ける装飾品に多く使われました。
目を奪われる美しい装飾の数々は、金細工師によるもので、金細工技術の発達が、後にその保管方法や加工技術の発展に繋がり、これが銀行業の始まりとされています。
金細工師は金を保管しておく保管庫を持っており、金を保有する人々がその保管庫に金を預けるようになりました。その際に金細工師が、金の預かり証を発行し、それが紙幣として購買力を持つようになったのです。金細工師は、預かった金を運用して増やしたり、また預かり証を発行して代わりに金を貸し出したりもしました。正に今の銀行と同じことが行われており、その始まりにも金が関わっていたのです。
ヨーロッパで金貨が発行されたのは13世紀の中頃ごろです。金と同じように銀も多く使用されていましたが、金の価値は銀よりも高く、約10倍もの価値があったといいます。これは流通量が少ない希少性からの価値でした。
このため、希少価値の高い金を他の金属や物質から生み出すための「錬金術」と呼ばれる技術の探求も行われていました。
錬金術の起源は古代ギリシャや古代エジプトにあるとされていますが、12世紀に文献がラテン語に翻訳されると、ヨーロッパでも研究が盛んになります。
この「錬金術」は現代では不可能であることが実証されていますが、当時の錬金術師たちが試行錯誤した研究の成果は化学の発展に大きく貢献しました。
「万有引力の法則」を発見したイギリスの物理学者アイザック・ニュートンも密かに錬金術の研究を行っていたとされます。
1533年|インカ帝国の滅亡と金
マチュピチュ遺跡で有名な、アンデス山脈に栄えた巨大なインカ帝国もまた、金で有名な国でした。
「黄金の国」と呼ばれたインカ帝国は、歴史の中でも特に金を多く所有していた国として知られ、その量はおよそ10万トン以上、推定320兆円以上ともいわれています。非常に金に恵まれた豊かな国であったのですが、それが理由で多くの国に狙われ、1533年インカ帝国はスペインの軍人フランシスコ・ピサロによって滅ぼされました。
13世紀から16世紀にかけて特に、金の取り合いによる国の侵略が行われていたといいます。
日本の歴史と金
金は日本の歴史においても、権力と富を象徴するものでした。
5世紀の前半に書かれたとされる「後漢書」東夷伝によると、後漢王朝の光武帝が西暦57年倭(わ=日本)の奴国(なこく)の王に「漢倭奴国王」と彫られた金印を授けたとあります。
当時から金は、権力者のみが所有する特別なものでした。
豊臣秀吉は1586年(天正14年)、黄金色に輝く茶室を作らせ、天皇に披露しました。自らの権力を誇示するためといわれ、壁、天井、柱、障子の腰、のすべてを金で貼り、黄金の台子と皆具を置いたと記録されています。
ヴェネツィアの探検家マルコ・ポーロは著書「東方見聞録」の中で「ジパングは、カタイ(中国北部)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で莫大なゴールドを産出し宮殿や民家は黄金で出来ているなど財宝に溢れている」と書きました。これは日本がその当時は世界でも有数の金産出国で、奥州平泉の中尊寺金色堂の絢爛豪華な金装飾を目にした外国人が、事実を誇張して伝え、「黄金の国ジパング」として伝わったのではないかといわれています。
「東方見聞録」の記録はあまりにも大げさなものではありますが、海の向こうの黄金の国の存在に、当時の海外の人々はロマンをかき立てられたに違いありません。
日本の金山や金採掘の歴史について詳しく知りたい方はこちらの記事もご覧ください。
関連記事:黄金の国 ジパング|日本の金山・金鉱山の歴史や埋蔵量
金貨の歴史
金は人類の歴史の始まりのころから希少価値のとても高い特別なものでした。しかしながら、その希少価値の高い金は権力者の力の象徴やお守り的な意味を持って、装飾品や宗教儀式に使用されていました。
古代のメソポタミア文明やエジプト文明においては、穀物や家畜等が通貨として使用されており、金が初めて通貨として使用されたのは、紀元前670年ごろの現在のトルコの辺りにあったリディア王国になります。
日本では8世紀に作られた「開基勝宝(かいきしょうほう)」が最古の金貨になります。ただし、和同開珎のように流通した通貨ではなく、褒賞品としての目的で発行されました。
室町時代になってやっと一般に流通する金貨や銀貨が登場します。
鎌倉時代にも金を取引に使用してはいましたが、それは金貨ではなく砂金のような状態であり、取引の時に重さを量って使うものでした。
室町時代に明との貿易で貨幣が輸入されるようになり、さらに戦国時代に全国の諸大名により鉱山開発が進められ、それによって金貨が多く世の中に流通するようになったのです。
そんな金貨を全国統一の貨幣にしようと着手したのは、江戸幕府を開いた徳川家康です。
家康は全国の金山銀山を幕府の直轄下に置き、小判を始めとした各種金貨・銀貨の製造を行いました。
江戸時代初期の小判1枚=1両は、米価から今の物価に換算するとおよそ10万円ほどになります。
1つの目安として、いくつかの事例をもとに当時のモノの値段を現在と比べてみると、18世紀においては、米価で換算すると約6万円、大工の賃金で換算すると約35万円となります。なお、江戸時代の各時期においても差が見られ、米価から計算した金1両の価値は、江戸初期で約10万円前後、中~後期で4~6万円、幕末で約4千円~1万円ほどになります。
当時の人気歌舞伎役者を「千両役者」と称しますが、今でいうと年収1億円を稼ぐプロスポーツ選手のようなものですね。
貨幣の統一を目指した徳川家康の試みは画期的なものでしたが、時代が進むにつれて品位(金含有率)は改悪されていきました。これは金産出量の衰退、貿易取引による多量の金流出、幕府の財政悪化などが理由とされています。
明治時代に入ると、新貨条例が施行され、それまでの金貨や銀貨は含有率に基づいた交換比率で、新貨幣と交換されました。
21世紀|現代の金
金本位制は終わりましたが、現在においても各国の中央銀行は、金を外貨準備金として保有しています。
順位 |
公的機関名 |
単位:トン |
1 |
米国 |
8134 |
2 |
ドイツ |
3367 |
3 |
IMF |
2814 |
4 |
イタリア |
2452 |
5 |
フランス |
2436 |
6 |
ロシア |
2152 |
7 |
中国 |
1948 |
8 |
スイス |
1040 |
9 |
日本 |
765 |
10 |
インド |
618 |
2019年時点で最も多く金を保有しているのが米国です。
為替相場の安定を図る目的で1945年に設立されたIMF(国際通貨基金)も、ドイツに次いで2814トンもの大量の金を保有しています。
現代においても金は重要な国の資産なのです。
金はまた、産業や医療の分野でも利用されています。
金を始めとする貴金属は酸やアルカリなどで浸食されにくく安定した性質を持つため、電子部品や半導体に有用な素材です。
パソコンやスマホ、カメラなどの回路基板などにも金が使われています。個々ではわずかな量ですが、集めれば「都市鉱山」と呼ばれるほど多大な量の金になります。
時代とともに、金の利用方法もまた、変化しているのです。
20世紀|金本位制の終焉
これまで辿ってきた金の歴史を見ると、金には高い価値があり、その価値が変わらない金属と位置付けられていたことがわかります。
金を通貨価値の基準として、通貨と金を一定比率で交換することを国が保証する制度を「金本位制」といいます。
この「金本位制」を19世紀初頭に初めて法律で採用したのがイギリスです。
当時、イギリスは産業革命によって大量生産した商品を世界の国々に輸出しようとしていましたが、他国の通貨価値へ不安を持っていました。世界共通の価値を持つ金と通貨の交換を国が保証すれば、安心して他国との取引が行えると考えたのです。
他の国々も質の高い商品を持つイギリスと取引するために、「金本位制」を導入していきます。金によって、自国通貨の信用を高めようとしたのです。
日本でも1868年の明治政府成立後から、金本位制へ向けた動きはありましたが、当時は十分な量の金を準備できず、断念されます。
金と貨幣の交換を保証する制度ですので、政府は発行した貨幣と同額の金を、常時保管しておく必要があったのです。
必要な量の金を確保できなかった明治政府は、銀本位制を採用しました。
そして1897年、日清戦争で得た賠償金を元手に、日本もようやく金本位制に移行します。当時の交換比率は「1円=金0.75g」でした。
ところが1914年に第一次世界大戦が起こると、各国は金本位制を停止します。終戦後はまた金との交換が再開されたのですが、日本は戦後の経済状況が悪かったため、金本位制への復帰はできませんでした。
その後も、1923年の関東大震災や1929年の世界恐慌などにより、日本の金本位制はなかなか安定しませんでした。
第二次世界大戦が終戦すると、混乱した世界経済を安定させる目的で、IMF(国際通貨基金)が中心となって、「ブレトンウッズ体制」が築かれます。
これは別名「金・ドル本位制」「固定相場制」と呼ばれ、各国通貨と米ドルとの交換比率を固定し、米ドルだけが金との交換比率を固定するものでした。
ドルを間に挟んだ金本位制です。
世界経済は30年近くのあいだ、「ブレトンウッズ体制」でまわっていましたが、1971年に終わりを迎えます。
当時のアメリカ大統領のリチャード・ニクソンが、金と米ドルとの交換を一時停止することを発表したのです。
これは米国の金保有量が減少し、交換に応じられなくなったことが原因でした。
ニクソンショックといわれるこの宣言により、ブレトンウッズ体制は崩壊します。
こうして19世紀初頭から世界経済を支え続けた金本位制は終焉しました。
金は永遠に価値を持つ
文明が始まった古代から現在に至るまで、人類は金と共にありました。
古代の金は、時の権力者や王侯貴族だけが持つことを許された特別なもので、現在の価値とはまた違った意味合いを持っていたようです。
その後産業が発展するにつれ、金本位制において各国の貨幣への信用を裏付ける役割を担い、世界経済を下支えしました。
現代では金は、アクセサリーとして加工されるだけではなく、パソコンやスマホなど様々な電子機器にも使用され、私たちの生活に身近なものとなっています。
このように時代と共に金の利用方法は移り変わってきましたが、金が持つ根本的な価値は不変だといえます。
現代においても金は、高い価値を維持し続けています。装飾品としてはもちろん、産業用素材としても安定した需要があります。
古代から権力者や王族を惹きつけ、時には国さえをも滅ぼしてしまった金の魅力は、現代においても人々を魅了し、これからも、人類の歴史と共に歩み続けるでしょう。
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